CFLに挑戦中の町野選手(京大)と山崎選手(阪大)にオンラインインタビュー!【第一弾】
京都大学OBのOL町野友哉選手(2015年入学、現富士通フロンティアーズ)と、大阪大学OBのK山﨑丈路選手(2013年入学、現オービックシーガルズ)が、日本人として初めてカナディアン・フットボール・リーグ(CFL)にドラフト指名されました。キャンプの始まり、プロ選手として第一歩を歩もうとしている2人は、大学からアメフトを始めた「未経験者」。カナダへの出発を前に、そろってインタビューにこたえてくれました。3回に分けてお届けします。
(聞き手=京大OB・貝塚麟太郎、緒方惇、京大・渡部大智、井上春乃、髙田理加、阪大・斎藤智博、橋舞衣、石田恭也、赤塚早紀)
■CFLからの指名、期待と不安
――CFLドラフトの指名、おめでとうございます。率直に今どういう心境ですか
町野)やっぱりホッとしたというのが一番大きいです。2年くらい前から海外挑戦を始めて、やっとこのスタートラインに立てた、やっと海外リーグに挑戦できるところに立てた。再度、気が引き締まるじゃないですが、本当にここからが勝負だなという気持ちで今、準備しています。
――正直、期待と不安はどれくらいの割合でしたか?
町野)周りには「半々ぐらいかな」って言っていたんですが、自分の中では、コンバインの数値(が良かったこと)などで期待が9割ぐらいでした。でも、事前に確約されているわけでもなかったので、やっぱり不安もありました。
――山﨑君は
山﨑)ホッとしたというのと、ドラフトされるまで何が起こるかわからないというのは、町野と同じです。僕も「(期待と不安は)フィフティフィフティぐらいかな」と言いつつ、ピックしてもらえる可能性が高いというのは下馬評で分かっていました。
ただ正直、確証はなかった。実は(ドラフト)前日の朝、指名されたチームから連絡をもらっていました。ずっと密に連絡をとってきたチームではなく、初めてコンタクトをもらったところだったこともあり、「え、ほんとに?」と。実際に自分の名前が出るまでは不安やったというところですね。
去年のコンバインは、ベストコンディションで勝負できていたので自信があったんですが、今シーズンはちょっと調子が良くなかった。自分に対する自分の評価に少し不安を抱えていて、心理的にはほんまにフィフティフィフティぐらいでした。
――指名された喜びの部分はどうですか?
山﨑)お世話になっている人、コーチ、家族や、仲のいい人には嬉しくてすぐに連絡しました。僕が連絡するまでもなく、みんなからメッセージをもらってありがたかったんですが、反応するのが大変で…。(笑)
自分の実力を見せる機会さえあれば、オーバーパワーする自信はあります。通過してしかるべき段階だと思っていたし、できなければ何も始まりません。心理的なハードルとしてはこの段階が一番大きかったと考えると、ステップアップできてすごく嬉しかったです。
町野)僕も指名された瞬間、すごく嬉しかったし、いろんな人からメッセージをもらって嬉しい気持ちはもちろんありました。でも本当にスタートラインでしかない。今も、キャンプに行けるところまでが保障されているだけで、キャンプで実力を出せなければカットされる可能性もある。喜びもあったんですが「やらなきゃいけない、ここからが勝負だ」という気持ちでした。
――CFLの開幕が延びましたが、今はどういう準備をしていますか
山﨑)開幕が延びたことは、プラスでしかないと思っています。ベストパフォーマンスを出し、さらに高めていく期間にできるので。
今は体に抱えている不安をコンディショニングすることを最優先にしていて、少しずつ良くなっています。あと1か月くらいあればそれを定着させることができるので、願ったり叶ったりの期間です。
4月までは東京の一般企業に勤めていましたが、せっかくこの期間を得たので、「フットボールに集中したい」と会社に相談し、フレキシブルな勤務形態にしていただきました。仕事をしながら合間の時間で練習やコンディショニングをする…という今までと同じ生活をしてキャンプに臨んで、100%の力を出せずにカットされたら、絶対に後悔すると思ったんです。
全部ふりしぼって、100%の状態で勝負してどうなるか。その後のCFLで活躍できるか。NFLに入れるか。NFLで活躍できるかどうか。この期間に全部集約されていると思っています。
町野)開幕が延びたことに関しては僕も全く一緒で、準備期間が長くなってポジティブに捉えています。
技術的にもフィジカル的にも、まだまだ全然レベルが足りていないと自覚しています。ポテンシャルはある、とも思いますが、現時点の実力はまだ伸ばさなきゃいけない。少しでもレベルアップした状態でキャンプに臨む、その心の準備も含めてすごくプラスだと思っています。
今の生活はドラフト前とあまり変わっていません。普段は富士通に勤めていて、水・土・日曜日がチームの練習、プラス個人で練習する時もあります。月・火・木・金曜日は朝から夕方まで働いて、仕事の後にトレーニングやリカバリーなどをしています。
町野選手提供
■英語はかなり不安…?
――海外リーグですが、英語は大丈夫ですか?町野君は不安だという話を聞きましたが…。
山﨑・町野)(苦笑)
山﨑)正直、僕は日常生活に困るんちゃうかな、と不安に思ってて。(笑)
のべ1年くらい、アメリカに行っていた期間があったので最低限、生活できるレベルではあると思います。キッカーはそんなに密なコミュニケーションを必要とされないので、ゲーム形式でアメフトをやることは大丈夫だと思っていますが…。
最近、オンラインでのチームのミーティングが増えました。周りの選手がしゃべっているのを聞いていると、訛りが強い人は何を言っているか全く分からないところがあります。よりネイティブな環境に対してはすごく不安で、この2か月でなんとかしないといけない。何か良い策があれば教えてください。(笑)
――町野君には「鬼のコーチング」が入ったという話を聞きましたが
町野)大学5回生の時、春乃ちゃん(=京大・井上春乃MGR)に教えてもらったこともあったんですが、僕も一番不安なのが英語です。日常生活も不安ですし、ポジションがらOLはフィールド内やサイドラインでのコミュニケーションが必要になるので、一番の課題です。
富士通のOLコーチがアメリカ人で、ミーティングで話している英語は大体理解できますが、LOS上でのとっさのコミュニケーションは英語でやったことがないし想像もつきません。そこはかなり不安ですね。やってみないとわからないので、向こうで身につけてくしかないのかなと思っています。
■他競技からの転向…きっかけは「7割日本代表」(町野)/「友人の死」(山﨑)
――振り返って、競技経験を聞かせてください。
町野)小学1年から高校まで、ずっと野球をやっていました。2個上の兄がやっていて、気づいたら僕も始めていました。ポジションは投手をやったり、高校時代は一塁手をやったり。大学でも続けるつもりでいて、野球部に入って本気でやるか、サークルとかでゆる~くやるかのどっちかかな、ぐらいに考えていましたね。
山﨑)小学3年の頃から高校を卒業するまで、サッカーをしていました。ポジションはディフェンスの左サイドバックが多かったです。高校の時は、大学ではサークルに入ってサッカーを続けられたらいいかな、と思っていました。「国立大学なんて部活、スポーツをしに行くところじゃないし、一生懸命やってもなあ」と。
浪人していた時、高校サッカー部の同級生で、キャプテンをやっていた子がガンで亡くなりました。僕は考えが合わずに衝突していましたが、サッカーが好きで一生懸命やっている彼の情熱は理解しているつもりでした。その時に感じたのは、「人生でやりたいことがはっきりしているのに、できずに人生を終える人が世の中にはいっぱいいるんだな」ということ。自分は一生懸命やろう、それならばサークルじゃなく部活だ、と考えが変わりました。
――他の競技にも興味があったのに、大学に入ってアメフトをやろうとした理由や入部の決め手は何ですか?
山﨑)大学に入った時は、アメフトのアの字もありませんでした。でもアメフト部の勧誘が結構、強烈で。登校2日目の教室にアメフト部の先輩が一人いて、とりあえずグラウンド来なよ、測定会で体動かしに来なよと言われて行きました。サッカーを10年間やっていてボールを蹴ることは好きで、人より自信があった。「アイシールド21」を読んでいたのでアメフトのこともある程度は知っていて、自分はキッカーに向いているのではと思っていました。
当時(2部だった)阪大アメフト部は、1部昇格という目標に対して真摯に取り組んでいる印象で、刺激的に見えました。得意が生かせるし、こっちの方が未来があるかもしれない。最終的には、「一生懸命、やりたいことをやっていく」という考え方にマッチするアメフト部を選びました。
町野)入学前、大学に資料を取りに行った時から、ピンクの集団(注:京大アメフト部が新歓の時に着るTシャツがピンク)がいて。もともとガリガリだったけど身長は高かったので、ピンクの集団が嬉しそうに駆け寄ってきて熱烈な勧誘を受けました。アメフトは全く知らなかったけど、勧誘を受ける中で、人と環境が良いなと思いました。
最終的な決め手は、自分の中に「スポーツで活躍したい」という軸があったからです。高校の時は身長があるのに活躍できなくて、くすぶっている自分がいました。身長を生かせるのはアメフトだと思いましたし、前監督の西村大介さんがご飯に連れて行ってくれて「お前だったら7割の確率で日本代表になれるよ」と言われたんです。ちょっとよく分からない数字を出されて踊らされたところはあります。(笑)当時、京大アメフト部から日本代表に選ばれている人もいて、雲の上ではないと思いました。大学から始めてもそんなところまでいけるのかと。日本一を目指せる環境や、人に惹かれて入部を決めました。
――最初、WRをやろうとしてたとか
町野)そうですね。新歓の試合で、白根さん(注:2012年入学)がWRとして活躍しているのを見て、背の高い人がWRやるんだって勝手に思いました。タッチダウンとれるし、かっこいいし、やりたいなって。
◎町野友哉 Tomoya Machino
1997年3月16日、岐阜県大垣市生まれ。大垣北高校から京都大学工学部に進学。小学校から高校まで野球を経験。大学で始めたアメリカンフットボールでは、一貫してOL。長身と巨体を生かしたプレーが持ち味。2018年、大学日本代表に選出される。2019年にはアメリカやドイツでNFLやXFL(共にアメリカのプロリーグ)のトライアウトに参加。2020年、富士通に入社し、富士通フロンティアーズに入団。CFLドラフトでは2巡15位でWinnipeg Bluebombersに指名された。198cm、140kg。趣味はドラマ鑑賞。
◎山﨑丈路 Takeru Yamasaki
1993年9月2日、大分県大分市生まれ。大分上野丘高校から大阪大学に進学。小学校から高校までサッカーを経験。大学でアメリカンフットボールを始め、KのほかWRやRBとしてプレーした。長距離を苦もなく決めるキック力が魅力で、練習では73ヤードFGを成功。2017年にエレコム神戸ファイニーズに入団、2020年にオービックシーガルズに移籍。CFLドラフトでは3巡19位でBC Lionsに指名された。173cm、83kg。趣味は、動きの勉強と自然鑑賞。